もっと頑張っていこう!
頑張らないといけない!
人間は生きていく中で、必ずと言っていいほど
『頑張ること=当たり前のこと』
という価値観を植え付けられるイベントが発生します。
立場が上の人(学校の先生や上司)にこの言葉を言われると、こちらから反論することもなかなかできませんし、その人の言葉を信じて頑張ろうと思ってしまいがちです。
このような言葉を聞き続けると、必ずと言っていいほど頑張る意味を自分の中で作り出すことが習慣になります。
- 先生が頑張れって言ったから
- みんなが頑張ってるから
- 将来のために頑張る必要があるから
このように理由付けをすることになるため、結局時間が経つと
『頑張ることが苦しくなってくる』
のです。
そして場合によっては、この頑張る意味を見出すことができずに、目標に向かって頑張ること自体が面倒になったりします。
日本で生きていると、頑張ることが当たり前の価値観を持ってしまいがちですが、そもそも私自身はこの考え自体おかしいと感じています。
頑張るか頑張らないかなんて、結局人に決められることじゃありませんし、頑張る理由が見つからないときだって多々あります。
事実、何かしらの結果を残している人・成功している人たちというのは、基本的には
『頑張ろうと考えず頑張っていないことがほとんど』
なので、この考え方とは逆の思考で動いていることが多いです。
ここでは頑張ることの本質について、改めて考えていきたいと思います。
もし今の人生で
『頑張らなければならない』
という価値観を植え付けられている人は、今回の内容で少し気持ちが楽になっていくと思います。
好きなところから読んでください
基本的に頑張ることに意味なんて必要ない

私自身が少しひねくれているところがあるからかもしれませんが、誰かが頑張ることの大切さを語っている時に、心の中でモヤモヤした気持ちが芽生えることがあります。
例えば、学校に行くことができずに悩んでいる子供がいた場合、世の中ではこれを『不登校』と呼びます。
不登校の子どもが学校に行かないことを、多くの大人は
『甘えだ』
『根性が足りない』
『もっと頑張る必要がある』
と心の中で思いがちです。
しかし、学校に行けない理由というのは、そのような感情的な部分ではどうにもならないこともあります。
あの閉鎖的な環境で起こる人間関係のシビアさは、大人になるとなかなか共感することが難しくなります。
不登校の子が頑張って学校に行った結果、結果的にイジメや馴染めないことを経験し、最終的に頑張ったことがさらに悪い結果をもたらすこともあります。
頑張ることに意味を見出そうとすると途端に人生が苦しくなる
学校だけではなく、これは大人になってからも同じことです。
学校を卒業して仕事を始めても、そこで自分がなぜその仕事を頑張っているのかに理由を見出そうとすることがあります。
- 家族のため
- 会社のため
- 世間体のため
理由付けは様々だと思いますが、これらの理由を後付けして仕事を頑張ろうとすると、結果的に自分だけが苦しくなります。
確かに『誰かのために頑張る』ことが大切かもしれません。
しかし、頑張る理由が主観的な理由ではなく客観的理由だけの場合、その時点で自分の人生を生きることができていないのです。
どんなに会社のために仕事を頑張ったとしても、会社があなたのことを『歯車の一つ』として見ていなければ、それは自分の頑張りが報われる可能性は極めて低いです。
家族のために頑張ると決めたとしても、本当に自分のやりたい仕事ではなかった場合、ただ家族のためにお金を稼ぐ人生になってしまいます。
頑張る理由に主観的な理由が含まれているのであれば問題はありませんが、これが客観的な理由しかない場合、結果的に数年後・数十年後に人生を後悔することがほとんどなのです。
結果を出している人が頑張っていない理由

人生の中で何かしらを頑張ることによって、それが将来的に結果として返ってくると信じている部分もあるでしょう。
もちろん頑張れば頑張った分だけ、それ相応のリターンを得られることは事実です。
ただ、1つだけお伝えしておきたいことは、そもそも圧倒的な結果を残している人たちというのは
『頑張ろうと思って頑張っているわけではないことがほとんど』
だということです。
頑張るというのは、結局その時の自分の『感情』でしかありません。
基本的に成功者というのは、一時的な感情を信じて人生を捧げることはまずしないのです。
▼参考記事
つまり、多くの人が正しいと思っている『頑張ること』を意識せず、以下のマインドを持って人生を楽しんでることがほとんどなのです。
そもそも過程には興味がない
頑張るということは、その先に何かしらのゴール設定をすることになります。
つまり、スタート→ゴールを達成する途中の道のりを
『頑張るゾーン』
として認識しているということです。
成功するためには、この過程を頑張らなければならないと思ってしまいがちですが、実は結果を出す人たちというのは、基本的に過程なんてどうでもいいというマインドを持っています。
どちらかというと
『過程は楽しむもの』
という認識が強いため、頑張るとは全く違った思考で生きているのです。
成功するために重要なマインドセットとして
『すでに自分が成功している前提で行動する』
ことがあります。
つまり、簡単に言ってしまえば
『ネットショップのAmazonで欲しい商品を注文した』
状態で、到着を待っている感覚で生きるようなイメージです。
どんなことがあろうとも、結果的に注文した商品は自分の元に届きますよね?
その商品が届く過程なんて誰も気にしていないように、これと同じ感覚で成功するまでの過程を過ごしているのが、成功者に共通しているマインドセットだということです。
頑張ろうとしている人に関しては、アマゾンで注文した商品が
『どこで積荷されて、どのルートを辿って、どんな人が運んでくるのか』
この部分をめちゃめちゃ考えているような感じだということです。
過程を考えることがいかに無意味であるかがすぐに分かっていただけると思います。
ちなみにこの過程ばかり気にしていると、昔の私のように失敗ばかりを引き起こしてしまうかもしれません。
今やっていることは理想の未来を実現するための手段でしかない
たとえどんなルートを辿ったとしても、結果的に自分の理想とする未来を実現できれば、そこまでの過程は全て自分の面白いストーリーとして使うことができます。
どんなに挫折しても、どんなに心が折れるイベントが発生しても、それは結局過程でしかありませんし、今自分がやっていることは、未来から見れば『手段』でしかないのです。
アマゾンの理論で考えると、自分のマインドセットさえ確立されていれば、理想の未来がやってこないことは基本的にありません(物理的に無理な夢などは別です)。
例えそれが何年・何十年かかろうとしも、理想の未来を実現できればそれでOKなのです。
先ほど不登校の子供を一つの例として出しましたが、不登校に関しても、学校に行くこと自体は『手段』でしかありません。
その先の自分の理想とする未来は何なのかを明確にすることができれば、今の自分の現状も結局『過程』に過ぎないのです。
私自身も中学生の時に一度学校に行かない時期がありましたが、この時期は『学校に行くこと』自体が目的となっていました。
しかし今振り返ってみると、この時に無理に頑張ろうとせずに、過程と理想の未来の違いを頭に入れていれば、もう少し楽に生きることができたと思っています。
周りから頑張ってる人だと思われようとしていない
自分の人生を生きる中で、本当の充実感を得るためには
『承認欲求から解放される』
必要があります。
頑張る意味を見出そうとする場合、最終的に求めているのが承認欲求だったりします。
家族のために頑張る→子供に尊敬して欲しい・奥さんに愛されたい
会社のために頑張る→上司に認められたい・部下に凄いと言われたい
誰かからの評価を気にして生きることは、意外と自分を苦しめることにもなります。
そもそも承認欲求というのは、性的欲求と同じで
『一生満たされることのない欲求』
ですから、ここを追い求めてしまうと最終的に待っているのは『破滅』です。
本当に自分の人生の幸せを実感している人たちは、この承認欲求から解放され、自分の信念を元に生きることができています。
芯を持って生きると、それが結果的に
『尊敬される旦那さん』
『会社から認められる存在』
をも呼び寄せます。
認められたいから頑張る人と、自分の信念を貫くために生きる人の違いを正しく理解することが、自分の未来を大きく変えるターニングポイントになるはずです。
苦しいのは過去の自分に引き戻そうとしているだけ

頑張らなくても良いと言っても、何かを成すためには必ず苦しい時期・辛い時期がやってきます。
そうなると
『やっぱり頑張らなければいけないんじゃないの?』
と思われそうですが、これも考えるべきことは頑張りではありません。
苦しい・辛いというのは単純に
『過去の自分に引き戻そうとしているだけ』
です。
例えば何か資格を取るために新しく勉強を始めたとします。
そうすると、最初は感情的な部分である『頑張る!』という気持ちで何とかなりますが、3日もすると、そもそも勉強することが苦しくなってきます。
その苦しい場面に直面した時、多くの人は頑張るという感情を奮い立たせて乗り越えようとしますが、これは人間のホメオスタシス(現状を維持する機能)が働いているため、感情的な部分ではまず乗り越えることができないのです。
今まで勉強してなかった過去の自分が、いきなり勉強を始めると、本能的に
『過去の自分に戻さないと未来が変わるからヤバイ』
となり、全力で引き戻そうと抵抗するのです。
これが辛い・苦しいの根本的な原因です。
人は命を守るために、なるべく現状を維持するように作られています。
- 危ないところに行かない
- 今までと違うことをしない
- 安定を求める
これらは常に人間の本能に組み込まれています。
もしこの本能がなければ、とうの昔に人間は絶滅しているはずですからね笑。
ただし、これからの時代は現状維持ばかりを考えていると、時代に取り残されて絶滅する側に回ってしまうかもしれません。
▼参考記事
頑張る意味を探すより積極的にリスクを取るべき!

ただし、安定を求めてただ生きるだけでは、それこそ不安定な未来を呼び寄せてしまいます。
時代は常に変わり続けていますから、今の現状を維持しようとしても、それが結果的に自分の首を絞めることになってしまうのです。
つまり、その時代その時代で変化をできない人間は、基本的には淘汰されていくということです。
人間の本能的なプログラムは安定を求めている。なのに時代は常に変わっている。
ここに矛盾が生まれてしまいますが、本能に逆らって頑張ろうとしても、高い確率でまた今までの現状に引き戻されてしまいます。
そのため、私たちがこれからやらなければならないことは
『人間の本能に従って理想の未来を引き寄せる』
という行動を選択することです。
また私が意味わからんことを言い始めましたね笑。
つまりざっくりと言ってしまえば
『積極的にリスクを取ろう!』
ということです。
▼参考記事
例えば、ビジネスで成功したいと思った時、本業をこなしながらなんとなく副業でビジネスをしていると、成功する可能性は低くなります。
なぜなら
『その副業をやらなくても自分自身は生きていけるから』
です。
この段階で信念を持っていれば別ですが、ほとんどの場合は確固たる信念を持って副業をしていません。
しかし、この時に
『半年後に今の会社を辞める』
ことを決断し、会社に辞表を提出してしまえば
『半年以内に何かしらビジネスで結果を残さなければヤバイ』
となるため、ビジネスに本気で取り組むことができるのです。
この事例の中で、人間の本能的なプログラムが切り替わったことが分かりましたか?
今までは、
『会社で仕事をこなす=安定した人生』
だったのに対し、半年後に仕事を辞めるリスクを取ると
『半年後にビジネスで成功すること=安定した人生』
に切り替わることになります。
この選択を取ると、人間の本能に逆らわずに新しい挑戦ができるため、そもそも頑張るという考えを持つ必要がないのです。
やらなければヤバイ・死ぬと分かれば、人間の本能は『生きる』ための選択を導き出しますからね。
人生なんてただの暇つぶしだからかっこいい理由なんていらない

私が常に意識していることではありますが、人生というのは基本的にはただの暇つぶしです(これは結構好きな言葉です)。
生きることに対して、かっこいい理由を付けようとするから苦しくなるだけであって、暇つぶしだと考えてしまえば途端に生きることが楽になります。
ホメオスタシス(現状維持機能)の話から分かる通り、人は自分の命の危険を感じれば、本能的に行動を起こすスイッチを自然と入れます(死ぬことを優先させるプログラムはないため)。
頑張ってしまうから生きるのが辛くなるだけであって、本能の赴くままに従って生きることができれば、フッと生きることが楽になりますし、挑戦することに抵抗もなくなります。
『頑張る意味がわからない』
このことで悩んでいたのであれば、まず前提として
『頑張る必要はない』
ことを理解し、人生という暇つぶしをどのようにして楽しむか?を考え、自分が思い描く理想とする未来に向かって進んでみてください。
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まとめ

私からすると、多くの人は無意味なことで頑張りすぎていると感じています。
そもそも頑張ろうとしている時点で、本能的な部分とは逆の方向に進んでいるため、基本的には上手くいきません。
頑張るという考えではなく
『すでに理想の未来を実現している前提で生き、その過程を楽しむ』
このマインドセットさえ正しくインストールできれば、頑張ることがいかに無意味であるかがすぐに分かると思います。
人生の過程なんて、最終的にゴールに辿り着ければどんなエピソードでも問題ありませんからね。
自分が物語の主人公になったと思い込み、これから起こる人生のイベントを積極的に楽しんで生きましょう。